【カフェの聖地】なぜメルボルンのコーヒー文化と歴史は有名なのか

メルボルンはコーヒーの街として知られていて、その魅力はこの都市独特の多国籍文化に根源があります。広島県と同じくらいの面積に約2万軒ものカフェが点在し、多国籍な文化の融合と、日々新しいコーヒースタイルの創造がこの街の特徴です。

この記事では、なぜメルボルンが世界のコーヒー聖地と呼ばれるようになったのか、その歴史とコーヒーカルチャー独自の進化に焦点を当てています。多文化社会がコーヒー業界にどのように革新性と創造性をもたらし、どのようにユニークなコーヒーが生まれているのかを見てみましょう。

この記事の要約

【なぜメルボルンはカフェの街として有名なのか?】

・1880年代の禁酒運動に伴い、アルコールの代わりにコーヒーを飲む習慣が広がる。

・第二次世界大戦後、イタリア・ギリシャ系の移民がエスプレッソの文化を広げる。

・多国籍文化で建国約100年程しか経っていないため、独自の文化というものが根付いていなく「サードウェーブ」を独自の方法で簡単に取り入れる事ができた。

オーストラリアのコーヒー文化

1880年代にオーストラリアでは飲酒による酩酊、反社会的行動、過度な飲酒への反応として、禁酒運動として知られる社会運動がイギリス・アメリカから広がりました。そのため、オーストラリアでは多くの人々がアルコールを避けるようになります。アルコールから離れるということは、パブから離れるということを意味します。

では、人々はどこで社交を楽しむのでしょうか?ここで「コーヒーパレス運動」の登場です。

この運動は、政治家が中心となり、禁酒運動の一環として、パブに通う人々をコーヒーに通う常連客に変換させようと試みたものです。その中でも有名なパレスが1888年コリンズストリートに建設された「フェデラルホテルアンドコーヒーパレス」です。巨大な4階建てのホテルには370の客室と塔に位置するペントハウススイートが含まれていました。このホテルは今現在「Federal Coffee」として生まれ変わり現在でもメルボルンに店舗を構えています。

この様に禁酒運動からコーヒーはメルボルンの社会的な中心地となり、コーヒー文化がここから育ち始めました。

エスプレッソ文化の始まり

その後オーストラリアのコーヒーカルチャーは、第二次世界大戦後のヨーロッパ移民によって大きく形作られます。特にイタリア・ギリシャ系の移民たちは、遠く離れた祖国の味をオーストラリアでも楽しむために、レストランやバーを開業し、エスプレッソコーヒーの文化をこの地に広めていきました。その流れが集約されているのが、メルボルンのLygon Street(ライゴン・ストリート)です。そのため、ここは多くのイタリアンカフェやレストランが並ぶ象徴的な通りになっています。

メルボルンでエスプレッソコーヒーが初めて導入されたのは1930年代であり、エスプレッソマシンを最初に導入したのが1954年にオープンした「Pellegrini’s Espresso Bar」と言われています。この店は、今も同じ場所でお店を構えイタリアのバールスタイルを貫き、夜遅くまで賑わっています。

このような歴史的背景から、オーストラリアのコーヒーカルチャーは、ドリップコーヒーを主流とする日本やアメリカとは異なり、ヨーロッパ由来のエスプレッソベースのコーヒー文化が深く根ざしています。

サードウェーブによる変化

その後2000年代になると高品質なコーヒーを求める「サードウェーブ」と呼ばれる新しいコーヒー文化が世界で広がり始めます。この言葉は2000年にSpecialty Coffee Association (SCA)という、コーヒー生産者からバリスタまで世界中の何百万人ものコーヒープロフェッショナルを代表する非営利団体で、世界で最も権威のあるコーヒー協会が設立されたことで認知され始めます。 

それ以前の「セカンドウェーブ」と呼ばれる文化では大量消費をメインとし、とにかく安くコーヒー豆を仕入れ、供給するというシンプルな仕組みができあがっていました。これにより、コーヒーの低価格化による価格競争が進み、コーヒー生産者の賃金が減少、それにより担い手も減少、さらにそれにともなって品質が悪化していました。

こうしたコーヒーの歴史的・経済的変遷によりコーヒーそのもののあり方を見直すために、「サードウェーブ」という、生産から消費の過程において正しく評価され、厳正な管理が行き届いた、高品質なコーヒー文化が生まれました。

このサードウェーブのコーヒームーブメントを、オーストラリアはいち早く取り入れ、ヨーロッパのコーヒーカルチャーとは一線を画す独自のスタイルを築き始めます。

ではなぜ新しいコーヒー文化を簡単に取り入れられる事が出来たのでしょうか?

それはオーストラリアの多国籍文化にヒントがあると思われます。オーストラリアには、18世紀にイギリスからやってきた「第一次開拓者」から、戦後のヨーロッパからの移民、1970年代のベトナム人、そして中国やインドなどからの新しい移民まで、さまざまな移民の歴史があります。また、1850年代に金が発見されるとさらに多くの移民が押し寄せました。イギリスやアイルランドだけでなく、ヨーロッパ、中国、アメリカ、近隣のニュージーランドや南太平洋などから、この10年間で約60万人が移住してきました。さらに第二次世界大戦後には、人口増加のためにイギリス人を中心とした移民を積極的に受け入れましたが、この政策によりイタリア人、ドイツ人、ギリシャ人、ポーランド人など、戦争で荒廃したヨーロッパからも多くの移民がやってくることになります。

このようなことから、建国から約100年程しか経っていなく多国籍文化なオーストラリアでは、一つの方法に囚われることなく新たな製造法を積極的に取り入れる革新的な姿勢が「新世界ワイン」の成功と同様に、コーヒー業界にも新風を吹き込んでいます。

そんな「サードウェーブ」がメルボルンで認知され始めたのが2005年。あの有名店St ALiが開店し、スペシャルティコーヒーを推進する最初の地元のカフェの一つとなりました。オーナーであるマラテスタ「世界で最初の一つと言ってもいい」と言い切るほどで、これを機に「ロンドン、ニューヨーク、LA、東京、コペンハーゲンのような大都市は、メルボルンのコーヒー体験をモデルにし始めた」と語っています。

Photo by Tetsutarou Shimoda

メルボルンの多文化社会が新しいアイデアや異なる文化を受け入れる開かれた気質の中で発展し、高い生活水準がカフェ文化の急速な成長を支えてきました。カフェは社交の中心地となり、多様な美味しいコーヒーを提供する場所として定着しました。

このようにして始まった独自のカフェ文化の影響力は大きく、世界的なカフェチェーンである「スターバックス」がオーストラリア市場から撤退するに至るほどです。メルボルンでは、カフェそのものが一つの作品として扱われ、独特の空間を作り上げ、その後カフェ自体を販売するという独自のビジネスモデルが成立しています。

メルボルンのコーヒーカルチャーは、単なる飲み物を超えて、生活の一部、芸術作品、そしてコミュニティの中心としての役割を果たしており、この街のコーヒーシーンは、他のどこにも見られない独特のものとなっています。

また、アジア太平洋地域で最大のコーヒーイベントとして知られている「MICE」や、一週間かけて行われるメルボルンのコーヒーイベント「メルボルンコーヒーウィーク」など世界のコーヒーを牽引する場所としてその存在を示しています。

オーストラリアコーヒーの特徴

そんなオーストラリアで飲めるコーヒーには、エスプレッソベースが主流ですがその中でも大きく分けて2つの種類があります。

  • ブラック
  • ミルク

オーストラリアコーヒーの特徴はイタリアンコーヒーの文化を受け継いでいるだけあってエスプレッソベースが基本。日本で一般的に飲まれているドリップコーヒーはまだ少なくほぼすべてのドリンクにエスプレッソが使われています。しかし、イタリアの文化のみならずサードウェーブのムーブメントも取り入れているメルボルンのコーヒーは、コーヒーチェリーが本来持っているフルーツの様な酸味や甘みを活かすため、浅煎りのコーヒーを提供している店が大多数なんです。

詳しいコーヒーの種類は「オーストラリアのコーヒーメニューを解説!カフェで頼める13種類の名前を紹介」にまとめてあるので、ぜひ活用してみてください。

そんな、メルボルンのサードウェーブシーンやコーヒー文化を引率してきたおすすめコーヒーショップを「メルボルンのコーヒー専門店11選」現地カフェの焙煎師が紹介」で紹介しています。ぜひ、メルボルンを旅する際のガイドとして利用してみてください。